人生論

コンプレックスと向き合うー容姿前編ー

はじめに

人間,誰しも大なり小なりコンプレックスを持っていると思うのですが,他の人がどんな風にコンプレックスを感じているのか,どういう風にそのコンプレックスを抱くようになったのかというのは,なかなか知る機会がありません.

だから,たいていの人は自分の中でその人なりのやり方で折り合いをつけて,少なくとも表面上はそのコンプを感じていることを他の人に悟られないようにして生きていっていると思います.

とはいえ,コンプレックスというのは自分ひとりで抱えているとしんどい時もあります.そういう時に,他の人のケースを知ることができれば,自分の問題解決において役立てることができますし,何より「自分は一人じゃない」という安心感が得られます.実際,自分も悩んでいるときはこういったことを知りたかったですしね.

そこで,これから5回の連続投稿を通じて,僕の具体的なコンプレックスを紹介し,皆さんが自身のコンプレックスと向き合う上でのひとつの例として参考にしていただければなと思います.

具体的な構成としては,最初の4回で僕が抱えていた大きなコンプレックスである,容姿と学歴についての体験談を紹介して,5回目の投稿で全体を通じたまとめをしようかなと考えてます.それではいってみましょう.

注:最初に言っておきますが,話題が話題なので結構この記事・このシリーズは重いです笑.閲覧注意.

小学校:コンプレックスを抱き始める

僕のコンプレックスはズバリ,顔です.コンプレックスの王道ですね.
今でこそ,ブログに顔写真を載せられるくらいにはコンプも薄まりましたが,(ただ,今でも顔写真を撮る・撮られるのは基本的に嫌です.)中学生の終わりぐらいから高校生の初めの頃までは嫌で嫌で仕方なかったです.

思い起こすと小学校4年生くらいの頃でしょうか,写真を見ると薄々「自分ってブサイクなんやなぁ」と気づきだしました.別に,顔をいじられたわけではなかったんですが,それくらいの頃から眼鏡をかけだして,徐々に自分の顔の美醜に意識が向くようになってきたんです.

そうして五年生になったあるころ,1学期の図工の時間をまるまる使って自分の友達数人と写真を撮り,それを見ながら絵を描くことがありました.今思うと,本当に罪作りな課題でしたね笑.絵を描くにはどうしても頻繁に写真を見ないといけませんから,結果として「お前の顔面はこれやぞ」というのを写真を通じてまざまざと突き付けられるわけですよ.このころには,はっきりと自分の顔は下の部類だと意識させられました.

余談ですが,この課題は写真を一緒に撮る友達を生徒同士で選ばないといけなく,一緒に移る友達の顔も描かないといけないという点で,小学生ながらに「どれだけ自分には心を許せる友達が少ないか」を実感し,自分の貧相な画力でどれだけ友達を良く描けるか気を配らないといけないという,なかなかにタフなものでした.そう考えれば,結構教育的だったかもしれないですね笑.

小学校時代に,一番容姿のことで印象に残っているのが僕の卒アルの写真です.そこには,運動会のマラソンで僕が必死の形相でスタートを切ってる写真があったんですよ.それがものすごくブサイクで,実際みんながアルバムを確認する中,あるクラスメイトが「大場さんの顔すごい笑」みたいなことを言うわけですよ.(ちなみに僕は小学校・中学校の頃「さん」づけで呼ばれてました.これだけでも僕の立ち位置というものがわかると思います.)ただ,僕の顔で騒いでいるのは彼と,その友達の2人くらいで,他の人は何の反応をするでもない状況でした.

当然,恥ずかしく,怒りもわいてくるのですが,その矛先は言ったクラスメイト達にはいきません.彼らはたまに遊んだりする仲だったというのもありますが,実際にその時の僕の顔が自分で見ても凄い顔をしてたので,反論できなかったんですよ.それよりも,この写真を載せたカメラマンや担任,そしてこんな顔に産んだ両親に対して怒りが向くわけです.

とはいえ,この怒りを彼らにぶつけても,アルバムを作り直してくれるわけでもなければ,顔がかっこよく変わるわけでもありません.結局,当時の自分は,自分の中に怒りや悔しさをしまい込むしかありませんでした.

中学校:コンプレックスの増大

中学校に入ると,周りも少しずつ色気づいてくるので,嫌でも自分の容姿というものを意識し始めます.

そんな中で浅黒い肌に,縮れた髪の毛と覇気のない奥二重の目,そしてガタガタの歯並びに,厚い唇.
中学から高校の時はもう本当に自分の顔が嫌で嫌で仕方がありませんでした.

家の外だと,まず鏡はまともに見れません.不意に顔まで見てしまうかもしれないので,体のシルエットでさえ見ることはできませんでした.ただ,散髪に行くとどうしても鏡を見なければいけません.そういう時は,仕方ないから家から眼鏡をはずして散髪屋に行くんです.そうすると,視力が悪いおかげで顔がボヤっとしか見えない.
当然,散髪の仕上がりの確認は適当になるので,家に帰って確認すると「ダサい髪型にされた」と心の中で悪態つくのですが,それでも自分の顔を直視するよりはマシでした.

ただ,鏡を見ないのはあくまで家の外での話であって,家の中にいるときはおそるおそる鏡を見るんですよ.毎回,「もしかしたら自分が思ってるよりもましなんじゃないか」と思って確認するんですが,思ったまんまの顔でがっくりということを本当に何回も何回も延々と繰り返しました.やっぱり,ナルシストよりも自信のない人ほど鏡を見るんだと思います.

他にも,僕は当時剣道部に所属していたので,たまに部活の写真とかをもらうことがありました.当然,そこには僕の顔が映っている.だから写真をもらうと,まず僕の動体を探し,写真を裏返して顔の部分だけを切り抜いて捨てていました.もうそこまでするくらいなら写真ごと捨てろよって話ですけどね笑.

ここでのキーポイントが,この時のコンプレックスというのは全部自分の中から出たものだということです.
自分が行っていた中学校はかなりガラが悪く,中途半端なヤンキーがいわゆる“陰キャラ”をいじることもままあったんです.僕も例にもれず,ちょっかいかけられても顔が引きつって真顔のままだったことから,ポーカーフェイスと言われていじられました.それでも,僕自身の見た目でいろいろ言われることはなかったんですよ.でも,他人に直接言われなくても,自分の顔のレベルはどれくらいかというのはだいたいわかるものです.

でも,この時は自分でどうすることもできません.顔の造形なんて努力云々で変えられるわけでもないし,髪型が天パでおかしいことは自覚していましたが,どんなふうに変えたらいいかわからない.第一,いきなり美容室に行って髪型をいい感じにしたところで,学校に行けば絶対にネタにされます.だから,その時の自分はただ将来成長して顔が変わっていくことだけを願っていました.そして,毎日の生活の中では理想の自分と現実の自分とのギャップに悶々とするだけの日々だったわけです.

つづく

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