人間というのは,すぐに忘れる.もちろん,それは全てをすべて記憶することができないからこそのことで,基本的には自分にとって重要性の低いものから忘れていく.それ自体は合理的でいいんだけれど,それじゃあ,忘れ去られた物事というのは,自分にとってまったくそのものがなかったのと同じでしょうか.
正直,日常の些細なことについては,いったん忘れてしまったら,もう二度と思い出すことは無いでしょうし,実質無かったことと一緒です.例えば,一週間前の晩御飯とかナイトスクープの小ネタ集とかはもう,きれいさっぱり忘れる事でしょう.
これはかなり日常寄りのことですが,自分が力を入れてやってきたことだってそうです.学校での勉強やら部活やらでも,はっきり言って細かい内容,例えば,世界史の暗記事項や,部活の練習メニューなんかは,意識しておかない限り,いずれ忘れてしまいます.
トリガー
人はすぐにものを忘れる.でも,自分が「忘れた」と思っているのは,意識的な部分であって,無意識にはまだかすかに記憶が残っていることもよくあります.そういうものに対しては,ちょっとしたきっかけがあれば,はっきり,とは言わないまでも,モワモワッと忘れかけていたことを思い出していくことがあります.
イギリス留学中,フランスに旅行に行ってルーブル美術館を訪れた際,たまたまヒッタイトに関する展示があったんです.ヒッタイトというのは古代ヨーロッパの一民族で,世界史をやっていたら絶対に知っている民族なんです.入試後それまですっかり忘れていたこの民族ですが,“Hittites”という表記を見た瞬間,「うわー,久しぶりやん!」みたいな感じであいまいな記憶が思い出されました.ヒッタイトがどの時代のどんな民族かはほとんど忘れていたんですが,「なんか西アジアで色々あったんやろ?」とか「そこら辺,ようわからん民族いっぱい出てきて覚えんの苦労したなー」みたいな感情が沸き上がってきて,入試なんてたった数年前のことなのになんだか懐かしく感じました.
ことはそんなもんなんだと思います.大したことないっちゃ,ない.むしろ思い出せた意味なんてほとんどないに等しい.でも学んで忘れたことは,それがもとから無かったことにはならなかったわけです.
ぶっちゃけ,そのことの存在すら思い起こせないようなものは,今現在緊急に思い出さないといけないものではない.だから,無かったことと同じでもそれほど問題ではない.
でも何かのきっかけがあれば,ふわっとそのことについて思い出せることもある.そしてその思い出せたものというのはたいていが言語化できないような感覚的なものなんです.
自分で振り返ってみると…
大昔,僕が習い事をしていた時でも,もうどんなことをやっていたかは思い出せないけれど,でも「その時自分はやっていることに対してどう思っていたか」というのは不思議としっかり覚えている.絵画教室なら「どうやってもうまい絵がかけないから,面白くない」とかスイミングスクールなら「泳ぐのは割と楽しいけど,周りに友達おらんからそれは不満やな」みたいなことはちゃんと覚えている.絵の描き方とか細かい泳法なんかはもう,ほとんど頭に残ってないけれど,自分の気持ちというのは不思議にちゃんと覚えている.多分,それで十分なんだと思う.
別にその時の感覚が役立つかと言われれば疑問だけど,「あの時自分は何をしていた」というのがはっきり言えるというのは,自分史を振り返るときにすっきりできる要素なんだと思う.