「ちょっと背伸びをしてみよう」という考え方があります.自分のキャパシティよりも少しオーバーしたところを目標にすることで,徐々にステップアップしていこうという考え方のことですね.
背伸びすることが果たしていいことかどうかと考えた場合,基本的には「したほうがいい」ものとされていますし,個人的にもそれが正しいと思います.背伸びして少し無理をしないと,なかなか技術や知識というのは身につかない.だって「背伸びをしない」ってことは「上を目指さない」ということとほとんど同義で,論理的には「現状維持か下降していくか」という結論に達しちゃうわけですから.
でも際限なく背伸びをするべきか,と言われると素直に「そうだ」と言えない気持ちが自分の中にあるんです.
もちろん,「いや,物事は何でもほどほどが一番やろ.要はバランス.そんなことみんな知ってるよ.」って言われれば,実際その通りで返す言葉もありません.でも,なぜか自分の体感としては常に背伸びすること,成長することが求められているように感じているんですね.それは僕が部活や留学といった成長が求められる環境にいたからか,学生という社会的立場にカテゴライズされているからか,それとも単純に自分の思い過ごしなのかはよくわかりません.
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まあ,細かい話は措いといて,先に結論について言ってしまいましょう.結論は,上述したような線(バランス大事)に落ち着くと思います.他に話の落としどころがありませんからね笑.
結局はそんな感じに落ち着くとは思うのですが,それでもここではあえて数学の定理の導出のように,丁寧に「背伸びすべき上限」について論じてみたいと思います.
それに,バランスのとり方と一口に言っても,いろいろありますからね.
新たな世界に入ったとき
背伸びをすると,当然ながら成功するか失敗するかの2パターンの結末がやってきます.成功した場合は,文句なしに祝福できますし,失敗したとしても,それはそれでいいかもしれない.背伸びする過程で,ほかの人よりもより多くの成長ができたことでしょう.
基本的にはメリットしかないような背伸びという行為に対して,「背伸びすればするほどいいのか?」という命題が頭に浮かぶ場面,つまりこの行為そのものの価値・効用に疑問が出てくる場面というのは,まず一つに「背伸びした結果,自分には到底似つかわしくない(と思われる)新たな世界に入ったとき」です.
ここで注意しておきたいのが,この命題が浮かぶ段階で,一般的な意味での「背伸びするメリット」というのは享受していることになる.それは要するに,背伸びしたことによって,今までとは全く違う(背伸びする対象の中での)一歩上の世界に足を踏み入れることに成功したからです.
当然ながら新たな世界では,周囲の人間は自分が必死になって獲得しようとしたもの(背伸びして得られるものというのは適当にしてても得られるものではなく,それに対して自分なりの努力をしないと絶対に手に入れられないものであるはず.)を持っている.すると,この世界では自分の強みが強みとなりえません.むしろ,人間というのは絶対評価よりも相対評価の方を利用しがちであるから,上位集団の中では自分が劣位に追い込まれてしまう可能性も出てきてしまいます.
願望と背伸び
結局,人が上を目指す場合というのは,それまでの世界で背伸びする対象に関して,少なくとも人並み以上の評価は得られていたはずなんです.そうじゃなければ,その対象への努力を放棄するか,少なくとも新たな世界に入る前にまずはその集団の並みレベルへの到達を目指すはずです.
例えば,水泳の苦手な学生がバタフライを泳げるようになることを目標にするとしましょう.これは願望であって,背伸びとは言えないんです.背伸びは「ちょっと無理をする」ということです(少なくとも僕は本文内で,この意味に捉えています).だから,まわりの同級生とクロールを泳ぎつつも,空き時間にバタフライを練習するのは背伸びと言えても,バタ足もろくにできない学生がバタフライを泳げるように練習するのは土台無理なことで,背伸び云々以前の夢物語になってしまうわけです.
というか,そもそも水泳が苦手な彼らは決して背伸びしてバタフライを練習しようとはしないでしょう.それは「バタフライをできるようになることで得られる優越感」よりも「クロールができるようになることで周囲から馬鹿にされない安堵感」のほうが数倍魅力的だからです.この感覚は直観的に理解できるはずです.
ある事柄に対して周囲からポジティブなフィードバックがたくさん来ても,たった一つの悪口が来れば,心はそちらに大きく影響されしまう.
だから,新たな世界でも自分の優位性を維持できれば,それでいいのですが,そうじゃない場合,つまり新たな世界では自分の能力が相対的に低い場合はアイデンティティの危機に陥ってしまう.自分の評価がこれまでと真逆となり,得意としていたものを引け目に感じてしまう.その結果として「ここは自分が来るような場所ではなかったのではないか」と感じるわけです.
つづく
(2018/7/24 一部修正)